2018年〆の貝殻拾い…燈明堂海岸・千代ケ崎…『干鰯問屋』
2018年〆の貝殻拾いは燈明堂海岸にしたのですが、京急久里浜駅で2分の差でバスを逃し、徒歩で燈明堂海岸を目指す途中、久里浜海岸と長瀬海岸に意外と貝殻があったので、そこで引っかかり…
9:24に京急久里浜駅から歩きだして、燈明堂に着いたのが12:22。
徒歩45分のところが、3時間かかってる。まぁ、久里浜海岸・長瀬海岸にそれだけ貝殻があったってことですね(^o^)
では、燈明堂海岸に貝殻はあったのか?
▼燈明堂海岸(燈明堂の北側)
三浦半島の海岸としては珍しく白い海岸です。
海も青く澄んでます。対岸は浦賀ですね。
そして、そこにあった貝殻は…
▼ウチムラサキ
ここのウチムラサキ、紫が濃すぎて黒いですよ~!
▼オオヘビガイ
普段見かけるオオヘビガイの太さは画像の下にあるものぐらいですが、ここのは太い!
燈明堂海岸にあった貝殻は以上。ウチムラサキとオオヘビガイばかり(^^;
▼燈明堂海岸(燈明堂の南側)
こっち側には貝殻ぜんぜん無いね~
あそこが千代ケ崎で、その先にも海岸あったから、貝殻無いとは思うけど、ここまで来たんだから行ってみようか~
と、ふわふわの砂浜を歩き、千代ケ崎の岩場の細い道を抜けた先には…
貝殻はウチムラサキがザクザク!
ウチムラサキはいいから!他に貝殻無いの?...無いね~
それじゃブログネタにもならないので、燈明堂海岸のハイライトは…
▼燈明堂
燈明堂の概要は…
⇒燈明堂|観光スポット|横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」
詳細は…
⇒燈明堂 (横須賀市) - Wikipedia
燈明堂は江戸時代に築造された和式灯台です。現在のは1988年に復元されたもので、木造風ですがコンクリート造りです。燈明堂の上部は(江戸時代は)障子で囲われ、その中で一晩に1升の菜種油を灯し、その光は海上4海里(7.4km)におよんだそうです。
…ここまでは普通の解説。面白いのはWikipediaに記載されてた「燈明堂の運営」
要約すると…燈明の燃料代と燈明堂の燈台守については浦賀の干鰯(ほしか)問屋が受け持っていたが、上総(かずさ)の干鰯問屋が浦賀への新規進出を目論み、幕府に対して浦賀への新規進出を認めてもらえたら運上金の納入と燈明堂の維持費用を全て負担すると申し出た。←なんか時代劇にこういうパターンよくあるような(^^?
浦賀の干鰯問屋は新規進出を阻むため同様の条件を幕府に提示し、結局、燃料代と燈台守ばかりではなく燈明堂の維持費用も浦賀の干鰯問屋が負担することになった。
…というように、燈明堂の維持管理には浦賀の干鰯問屋が大きく貢献しているのですが、
「干鰯問屋」って何? 干した鰯がそんなに儲かるの?
⇒干鰯問屋 - Wikipediaによりますと…『干鰯問屋(ほしかどいや)とは、江戸時代に干鰯などの魚肥を扱った問屋のこと。』 え? 鰯を食べるんじゃなくて肥料にしてたんですか!
イワシは『陸に揚げるとすぐに弱って腐りやすい魚』だから、冷凍技術のない時代は食料として流通しなかったのかな? だから魚肥にした。
魚肥(ギョヒ)とは - コトバンクによりますと…『魚を原料として作った肥料。窒素・燐酸(りんさん)分に富む。干し鰯(か)・絞り滓(かす)など。』
あ~化学肥料が無い時代に、肥料の三要素「窒素・リン酸・カリ」の内の窒素・リン酸に富む魚肥を使っていたというのは、あ~なるほど!
燈明堂の復元された(コンクリート製の)建物を見てもさして面白くないのですが、『干鰯問屋』を知ることができて、面白かった(^o^)
2019/06/08のブラタモリで銚子の干鰯(ほしか)やってました。
昔は干鰯(ほしか)で儲かったそうです。
その番組内容をまとめてるページ…
⇒ブラタモリ 6月8日放送~千葉県・銚子② : Halohalo online
« 2018年〆の貝殻拾い…久里浜海岸…長瀬海岸・どんど焼き | トップページ | 2018年〆の貝殻拾い…燈明堂海岸~三戸浜 »
「貝殻拾い」カテゴリの記事
- タカラガイ・ストラップの作り方(2024年 B5版)(2024.07.25)
- 三崎臨海実験所「海のショーケース」一般公開で【ネコザメ】の歯と【シノノメサカタザメ】の顔?(2024.05.11)
- トンボロを歩いて江の島へ上陸してきました~!(2024.05.10)
- 【白樺浮き】と錘(おもり)@ムーミンパパの灯台守(2024.04.17)
- 奄美大島 貝殻拾いの旅2024【まとめ】(2024.03.01)
« 2018年〆の貝殻拾い…久里浜海岸…長瀬海岸・どんど焼き | トップページ | 2018年〆の貝殻拾い…燈明堂海岸~三戸浜 »
コメント