【イタヤガイ】の「右殻/左殻」と学名とSchröterさんを調べていたら『驚異の部屋』へ至る

台風一過の三戸浜ビーチコーミングで【イタヤガイ】の合弁を2つ拾い、イタヤガイを拾うと毎度悩むのが…
Q:どっちが右殻で、どっちが左殻?
A:膨らんでいる方が右殻で、平らなのが左殻
…これを毎度🔍せず記憶に留めるために、イタヤガイ(合弁)画像の上に「右殻」「左殻」を記入して~
それだけじゃ寂しいので「イタヤガイ」の文字を入れ。ん~🤔もうワンポイント…
そうだ! 学名を Times New Roman フォントのイタリックで入れると、お洒落じゃない?😊
イタヤガイの学名は?🔍
Pecten albicans (Shröter,1802) Wikipedia
確認のため GBIFでも🔍 合ってますね👌
ところで、GBIFにはその種の分布マップが出てくるのですが…
イタヤガイの分布は、日本、韓国、中国沿岸です。あら、イタヤガイは東アジアの固有種だったのですね。だから、ヨーロッパには生息していません。なのに、それを記載したのがドイツのSchröter(シュレーター)さんです。しかも記載したのは1802年(享和2年)江戸時代です‼
ん~🤔 江戸時代にイタヤガイがどうやってドイツのシュレーターさんの手元に届けられたのでしょう❓ そこに何か物語りがありそうですよ! Google先生とそれを探してみました😊
Pecten albicans (Schröter, 1802) を記載したシュレーターさんは?
日本でおなじみの二枚貝「イタヤガイ(Pecten albicans)」 を1802年に記載した「シュレーターさん」は、18世紀ドイツの神学者であり博物学者・貝類学者でもあった ヨハン・サミュエル・シュレーター(Johann Samuel Schröter, 1735–1808) です。
彼は現代のような「海洋生物学者」という肩書きではなく、当時は本職の牧師(神職)を務めながら、趣味の領域を遥かに超えた情熱で貝類や化石の研究を行った コンキオリジスト(貝類学者・地質学者) でした。
ヨハン・サミュエル・シュレーターとは?
- 本職と活動
ドイツのブットシュテットなどで牧師や監督官を務めていました。その傍らで膨大な化石や貝殻のコレクションを築き、1780年代には世界で最初期となる貝類学(軟体動物学)の専門学術雑誌を発刊した人物として歴史に名を残しています。 - イタヤガイの記録
1802年にドイツの動物学雑誌(Archiv für Zoologie und Zootomie)において、イタヤガイを最初 Ostrea albicans(オストレア・アルビカンス) という学名で発表しました。当時はリンネの分類法が主流で、ホタテガイやイタヤガイの仲間もカキ属(Ostrea)に含められていたためです。後に分類が見直され、現在のイタヤガイ属に移されて Pecten albicans (Schröter, 1802) となりました。
GBIFのマップを見ると、イタヤガイは日本、韓国、中国沿岸での記録がほとんどだけど、それがドイツのシュレーターさんの手元に届いた経緯は?
ご指摘の通り、GBIFのマップが示すようにイタヤガイは日本、韓国、中国沿岸(東アジア)の固有種です。
鎖国中の日本や東アジアの貝殻が、1802年という早い時期にドイツの博物学者ヨハン・サミュエル・シュレーターの手元に届いていた経緯には、当時のオランダ東インド会社(VOC)による長崎・出島を拠点とした交易ネットワークが深く関わっています。
具体的な入手経緯と歴史的背景は以下の通りです。
1. 長崎・出島からヨーロッパへのルート
当時、ヨーロッパで唯一日本との公式な交易を許されていたのがオランダです。長崎の出島に滞在したオランダ商館の館長(カピタン)や、お抱えの医師・学者(ケンペル、ツンベルク、後のシーボルトなど)は、日本の珍しい動植物の標本や貝殻を精力的に収集し、オランダへと持ち帰っていました。
2. 「貝殻バブル」と一大貿易品としての流通
17~18世紀のヨーロッパでは、王侯貴族や富裕層の間で「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」と呼ばれる博物コレクション室を作ることが大流行していました。
特に日本のイタヤガイのように「平らな殻(左殻)と、お椀のように深く白い殻(右殻)」を持つ美しい貝は、珍奇なコレクターズアイテムとして高値で取引されていました。出島に赴任するオランダ人たちも、個人的な「お土産」や「転売目的の貿易品」として、出島周辺の漁師などから日本の貝殻を大量に買い集めていました。
3. オランダの市場からシュレーターの手へ
こうしてオランダ(主にアムステルダムやライデン)に荷揚げされた日本の貝殻は、オークション(競売会)や博物商を通じてヨーロッパ中のコレクターに転売されました。
シュレーター自身はドイツの牧師であり、日本へ赴く機会はありませんでしたが、彼はヨーロッパ中の熱狂的な貝類コレクターや商人、他の学者たちと大規模な文通・交換ネットワークを築いていました。
彼が1802年に発表した『Archiv für Zoologie und Zootomie(動物学・比較解剖学アーカイブ)』 の記述では、オランダの貿易ルートからもたらされ、ドイツ国内の市場やコレクター仲間を介して彼の元にやってきた「産地不明だが極めて珍しい東洋の貝殻」としてイタヤガイを入手し、新種(Ostrea albicans)として記録したという経緯になります。
はぁ~☕
イタヤガイの学名を調べていたら、驚異の部屋(Wunderkammer:ヴンダーカンマー)に至ったのが楽しい😃
私が「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」を知ったのは👇このマンガで
2018/09/02 『へんなものみっけ!』たら、持ち帰らなくちゃ!
※関連記事
2026/06/06 【イタヤガイ】の合弁@台風一過の三戸浜ビーチコーミング
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